アマチュアマンオケにおける指揮者

女の子、
それもマンドリンなんていう楽器をやるようなちょい控えめな女の子からだったら指揮者やっておけばモテるであろう、
そういう邪な気持ちで、男子校あがりだった私は指揮者に立候補しました。

というのは半分冗談で、(それでも半分)
当時の諸先輩方には申し訳ないですが、初めてステージに乗った定期演奏会で、自校の貧弱な音楽観を垣間見、これは本格的にヤバいと思い、立候補したというのが残りの半分です。
その具体的な話はまた今度にしますが、今日は指揮の話。

大学1年生の終わり頃(2011年)に始めた指揮も、今年で10年目、当時とはかなり音楽観は変わりましたが、昨年に自分が主宰する団体の節目の演奏会が終わったともいうことで、ここまでの所感みたいなことを、振り返りつつ適当にまとめておきたいと思います。

※書いてたらめちゃくちゃ長くなってしまったので、要点だけ読みたい方は「最近の指揮者としての考え方」だけ読んでいただければ幸いです。


■2011-12年 なんにも分かっていない時期

「指揮者はボールが跳ねるような(等加速度直線運動)感じで打点を打つ」という、
まあ基本的な在り方のみを教わった状態で、指揮者として奏者の前に立ちました。本当にそれくらいの知識量で、奏者の前に立ちました。
音楽を作る、というプロセスについてはまったく手探りの状態で、フォルテは強く!ピアノは弱く!みたいな整理すらおぼつかないレベルだったと記憶しています。

後述するかもしれませんが、指揮者の役割って学校の先生に近いと思っていて、授業時間(合奏時間)を与えられ、生徒(奏者)の前に立ち、あれやこれやと教え(指示を出す)。
肝心の先生がなにも分かっていない状態で、良くも何時間も前に立っていたと思います。
合奏をしても、「何がどうなんだかわかんねえ」のような、とにかくなんにも分かっていませんでした。

この頃に得られたのは、
・とにかく合奏練習時間に音も指示も飛ばない時間(自分が考え込む時間)があってはならないということ
・聞いてわからないのであれば、あらかじめ自分の求めることを考えておくこと
・打点はビシビシ打つべし

といったことです。あくまでも当時の考えです。
特に打点は、必要なときに打てばいいと今は思っています。


■2013-14年 100点じゃなくて100%の演奏を

2013年のはじめのころ、とある女子大とジョイントコンサートをする機会がありました。
そして合宿の際に、女子大のコーチとして来ていた長谷川武宏先生にいくつか指導していただく場面がありました。

当時、何をやってもなんか到達点に達していない感がありましたが、長谷川先生とお話する中で
「学生オケだとどうしても完璧な演奏は難しい部分が多く、それよりも自分たちのできる範囲で最大限のことができれば、それはとても良いことじゃないか」
といった話に非常に感銘を受けました。
その他、技術的なご指導もいただきましたが、上記のお話が何よりも自分の中で響き、
100点の演奏を目指すのではなく、自分たちのできる100%の演奏を目指す、というのがアマオケのゴールだというふうに考えられるようになりました。

根本的に、この考えは今も変わっていません。

当時の私は完全に調子に乗っており、2013年の関東マンドリン連盟(以下関マン)主催の合同演奏会で、今の妻となる他大学の女の子をコンミスに据え(当時その気は全然ありませんでしたが、結果として当初の目的は達成?され)、指揮者に立候補し、お世辞にも素晴らしい演奏ではなかったように思いますが、若くて勢いのある演奏を作ることができ、「俺結構できるじゃん」と盛大に勘違いしておりました。これはまた今度書くかもしれませんが、勘違いでした。


■2014-15年 団体主宰で思ったより人集まらず

2014年に、関マン月例会での飲み仲間や、前年の関マン演奏会での知り合いを中心に、「私のやりたい音楽だけをやる団体」を主宰することになりました。卒業間際に演奏会を企画し、ドカンと卒業してやる、と息巻いていました。

当時、とにかく多くのコミュニティに顔を出し、顔を売り、顔を広くしようとしていたのが奏功し、そこそこの参加者に集まっていただきましたが、練習の際になかなか人が集まらず、いつも練習参加人数は5,6人。よい音楽ができていたかと言われると、少し疑問が残りました。

2015年、そうして迎えた「第N会定期演奏会」、奏者は26人、お客様は80人くらい、演奏自体は100%に近かったと思いますが、自分の本来やりたかった音楽がそこにあったかと言われると、こちらも多少再考の余地がありました。
(もちろん、演奏会という一大プロジェクトを完遂したという達成感はありましたが)

指揮者の話とはズレますが、
・人がいないとやりたい音楽がやれない
・人脈はどちゃくそ大事

といったことを感じました。


また、この頃、多くのコミュニティで、奏者として満足度が高くない合奏にも参加し、何が合奏を不満足にしているのかを考えました。

1.日によって言うことが違う
2.うまくいかないことを奏者のせいにする
3.弾く時間が短い(しゃべりがめちゃくちゃ長い)
4.何をしたいのかがわからない
5.繰り返し合奏するだけでフィードバックがない

あまりいいプロセスではないかもしれませんが、こういった部分をひっくりかえせば、ある程度満足度の高い合奏を作ることができるのではないかと、考えました。すなわち、

1.発言の方向性の統一
2.うまくいかない部分の原因を考える
3.しゃべりすぎない
4.練習の目的を明確にする
5.繰り返し練習する箇所については理由を明確にする

といったことができれば、奏者はある程度満足すると考えました。
このあたりは、概ね現在も心がけているところになります。

 

■2017-現在 社会人としての難しさ

様々な経験を元に、自分の主宰する団体は5,60人がステージに乗るような大きな団体となりました。これは本当に皆様に感謝しております。

さて、それでやりたいことができているかと言われると、実はそうでもない部分が多くあります。

社会人となっても楽器を続ける方というのは、やはりそれなりのエナジーを持って続けている方が多く、「それぞれの思う正解」が確立されている方が多いように見受けられます。
例えば、吉水先生の「プレリュード2」、
冒頭ドラメロの13,4小節目のファレミーを繰り返すところについて、2回目を弱く弾きたい派と、順々にクレッシェンドして弾きたい派、はたまた1,2回目ともに弱めに弾いて直後のアクセントをガツンと入れたい派など、結構弾き方や好みに差があるように思います。トレモロの粒度などもそうで、ゆったりとした粒の大きいトレモロが好きな人、細かいトレモロが好きな人、いわゆる回数系できちっと入れたい人、なんにも考えてない人など、音楽的な分岐点が本当にたくさんあります。
そして難しいのは、ある程度弾ける方々だからこそ、「それぞれの思う正解」から外れた弾き方が苦手、という点だと思います。まぁ、このプレ2のような例は調整しやすいですが、調整しづらいような演奏のクセなどがどうにも目立つようになったのは、やはり社会人になってからのように思います。

それともう一つは、今の話と相反するようですが、思ったより弾けてないということです。社会人になり数年が経ち、学生時代に比べ楽器と触れ合う時間がめっきり少なくなった人がほとんどだと思います。小手先の技術みたいなことと今までの経験値でカバーしている感じはありますが、そもそも楽譜通りに弾けない人も多いと感じます。あらかじめ音取りしない、という方も多いのかなと思います。

※もちろん、この2点については、奏者としての私にも言えることであり、自戒の念も込めて書いてます。

これを踏まえた上での指揮者としてできることは、以下かなというところです。

・言いたいことの半分は飲み込み、残った半分で合奏する
・とにかく合奏時間にたくさん合奏する
・音楽的にどうしても解せない部分については合奏で指摘する

ぶっちゃけ、まだ指揮者としての正解は見つかってません。


■最近の指揮者としての考え方

ここまで長々書きましたが、今現在、指揮者として考えているところをまとめます。
テンポキープだとか、譜読みするとか、そういう当たり前のこと以外のことです。

とにかく合奏時間を大切にする
特に社会人になって、多くの参加者が無い時間を割いて合奏練習に参加していただいていると思うので、その合奏時間を少しでも無駄にはしたくないと考えております。
私はあらかじめ各パート譜に気をつけてほしいポイントを纏めた「指示譜面」を奏者に展開していますが、いちいち練習のたびに「ここは2つで振り分けます」だの「ここのfは小さめで大丈夫です」だのと言わなくても、音楽的な”お約束”が共有できるようにするための手段の1つです。
結果として、あまり練習に参加できていない奏者の「打ち合わせ不足によるアクシデント」はかなり減らせているように感じます。
その他、練習中に口ごもったり、考え込まないように(≒なんでもない時間が生じないように)気をつけています。

弾く時間を多くする
上記と被りますが、せっかく集まっているので、合奏回数・弾く時間を多く設けられればと思っています。曲の流れ、ストーリー、お約束ごと、諸々を確認できるのが合奏だと思っているので、とにかくそれを数こなせればと思っています。それだけで解決できるとまでは思っていませんが、回数を重ねることで解決できることは多いはずです。

感情的にならない
音楽以外もそうですが、(特に負の方向に)感情的になることは、それだけその場にいる人にマイナスな空気をもたらします。うまくいかない部分があったとしても、それをより客観的に捉え、問題解決への糸口を探せるようにしています。

方向性を曲げない
練習に毎回参加する奏者は少ないので、日によって指示が異なることは方向性のバラけに繋がります。できるだけ最初から一貫した方向性を提示できるように心がけています。


もっとあるような気がしますが、ポイントはあくまでアマチュアの団体ってことです。

ここしばらく指揮はしていないので、だいぶ感覚を忘れてしまいました。現在、私が主宰している団体はお休み中ですが、もう何年かはマンドリン活動を続けていこうと思っているので、また指揮するときに自分で見返す用の備忘録として、あれこれ書いておきました。
まあ正直行き詰まっているし、もっと理論を勉強すれば視界が広がるというのもわかっているのですが、そこまでの熱意もなくなってきているというのもあります。

思い出したら追記とかするかもしれません。
なんか、付き合いとしてのマンドリン、というテーマでも少し書きたい気分ではあります。